
僕が「できるだけ食べ切れる料理を作りたい」と思う理由は、単純です。
残される料理を減らしたいから。
でも、誤解してほしくない。
残された=まずかった。
そう思っているわけではありません。
僕自身、料理人を続けてきて分かったことがあります。
人は、
美味しい・美味しくないだけで食べ残しているわけじゃない。
子供の頃の記憶。
苦手だった経験。
家庭で食べてきたもの。
香り、食感、見た目。
そういう積み重ねで、
「これは食べれない」
という固定概念ができる。
それは大人になっても簡単には変わらない。
だから、
苦手な人を責めたいわけじゃない。
無理して食べてほしいとも思わない。
ただ——
もし食べれないなら、
最初から教えてほしい。
その一言があるだけで、
もっと違う料理を考えられるかもしれない。
もっと綺麗にお皿を終わらせられるかもしれない。
僕は、
食品ロスを見るたびに考えます。
この食材。
食べたくても食べれない人がいる世界で、
捨てられるために生まれてきたわけじゃない。
生産者さんだって、
誰かに残されるために育てているわけじゃない。
命も、
時間も、
手間も、
想いも、
全部そこに入っている。
だから僕は、
簡単に見過ごせない。
最近特に感じるのは、
「お金を払ったんだから自由でしょ」
という考え。
もちろん、
お客様には選ぶ権利がある。
でも、
お金を払えば何をしてもいい、
ではないと思っています。
逆に、
生産者さんが作らなかったら。
料理人が作らなかったら。
僕たちは何を食べるんでしょう。
お互いが支え合って生きている。
だから、
感謝は忘れたくない。
前にも言いました。
「体に投資したこと、ありますか?」
でもその前に、
投資したくてもできない子供たちがいる。
食べたくても食べれない大人たちがいる。
その現実を知ると、
今日、
食べれること。
選べること。
残せること。
それ自体が、
すごく恵まれていることなんじゃないかと思うんです。
だからお願いです。
お母さんが作った料理。
恋人が作った料理。
奥さんが作った料理。
料理人が作った料理。
残す前に、
少しだけ考えてみてください。
作る側は、
簡単に作っていません。
もし食べれないなら、
最初から伝えてください。
その方が、
作る側も救われる。
そして、
お皿も綺麗に終われる。
物を大切にする。
人を大切にする。
食べることに感謝する。
当たり前だけど、
忘れてはいけないことだと思っています。
